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2016年6月23日木曜日

産経新聞が舞台裏を明らかに 舛添前知事の辞職は身から出たサビ…自民・谷垣幹事長はゴーマン男に受けた屈辱の言葉をなお忘れていなかった

産経新聞が舞台裏を明らかに 舛添前知事の辞職は身から出たサビ…自民・谷垣幹事長はゴーマン男に受けた屈辱の言葉をなお忘れていなかった

産経新聞が舛添都知事をなぜ自民党が守らなかったかについて解説をしています。

舛添都知事の不義理をする性格は今に始まったことではないようです。





産経ニュースより

舛添前知事の辞職は身から出たサビ…自民・谷垣幹事長はゴーマン男に受けた屈辱の言葉をなお忘れていなかった

政治資金「公私混同」疑惑の責任を取り、ようやく辞任した舛添要一東京都前都知事。これまで自民党内で終始厳しい態度をとり続けたのが、谷垣禎一幹事長だった。6年前に舛添氏が自民党を離党する際、当時の自民党総裁だった谷垣氏に投げた「瞑想中」という言葉が、いまも怒りとして消えていないのだという。その経緯を振り返ると、なぜ今回舛添氏が孤立無援になったのか、理由の一端がみえてくる。

 時計の針を平成22年4月に戻そう。当時、野党・自民党の総裁だった谷垣氏は、党の建て直しに奔走していた。にもかかわらず、「自民党の歴史的役割は終わった」と、泥舟から逃げるかのように離党しようとしていたのが舛添氏だった。
 当時の世論調査では「首相にふさわしい人」のトップに名前が挙がっていた。「自分が自民党総裁になるなら党に残ってもいい」などと豪語し、谷垣氏の足元を見るような言動を重ねていた。


 そんな舛添氏に、谷垣氏は党の要職を用意し、慰留しようとした。ただ、谷垣氏側が会談を持ちかけても舛添氏サイドは無視。業を煮やした谷垣氏が直接舛添氏の事務所に電話をかけると、秘書は若干の間を置いた後、信じられない言葉を口にしたという。
 「舛添本人は、瞑想中なので会えません」
 谷垣氏はこの返答に激怒。舛添氏が4月22日に離党届を提出すると、将来復党できるよう、寛大な措置を求める一部意見を押し切り、党紀委員会で多数決を取ってまで除名処分に追い込んだ。

谷垣氏は処分前の同月7日、全国幹事長・政調会長会議の席上、「舛添氏に電話してもつながらず、『瞑想中なので会わない』と答えるような人に仕事は任せるつもりはない」と吐露。除名処分後、「同じく離党した与謝野馨元官房長官は、俺の所に真意を説明に来た。『瞑想中』などとふざける舛添は、政治家というより社会人としての人間性を疑う」と周囲に怒りをぶちまけていた。

 時は流れ、自民党が政権奪還した後の26年1月。石破茂幹事長(当時)は舛添氏と会談し、翌月の都知事選で支援することを確認した。谷垣氏は法相だったが、「党の決定に不満を募らせていた」(谷垣氏側近)という。

 谷垣氏は党幹事長に就任した同年9月、都知事となっていた舛添氏と約6年半ぶりに言葉を交わしたが、そのときも舛添氏は当時のことを悪びれる様子もなかったという。
 今回の「公私混同」疑惑で、当初、自民党都連は舛添氏を擁護した。だが、擁護論の多くは舛添氏のことを心配してというより、参院選(6月22日公示-7月10日投開票)と都知事選が重なることを避けるための打算だったといえる。

 疑惑が広がりはじめても、おもんぱかって直接連絡を取ったり、攻撃の盾となるような言動を取ったりする自民党幹部は少なかった。「東京五輪(の準備を)を進めていく上で、障害は全く」とかばった2020年東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長くらいだった。

かつて、舛添氏が下野した自民党を簡単に捨てたように、「参院選に悪影響が出かねない」と思われたら簡単に見捨てられた舛添氏。政治家は、頭脳以上に徳や信頼が大切なのだと痛感させられる。

 筆者もかつて、連載企画「夜の政論」で舛添氏と対談したことがある。当時の舛添氏は、東京都の待機児童の解消策や東京五輪・パラリンピックの施設整備費の削減方法などを熱っぽく語っていた。いずれも理路整然として独創的、効率的な案だと感心したことを覚えている。

 ただ、宴席をともにした人をあまり攻撃したくないが、神奈川県湯河原町の別荘で、ピザ釜を1人で作り上げたことも楽しげに語っていた。まさか、その舛添氏が「ピザ釜・パン釜の作り方」という本を政治資金で購入していたとは…。ちなみに、その時の取材費は全て弊社が負担したことを付記しておく。(政治部 水内茂幸)


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